神埼町、千代田町、脊振村の3つの町村が、平成18年3月20日に合併し、神埼市が誕生しました。
神埼市は、面積125.01平方キロメートル、人口33,890人(平成18年3月31日現在)で、佐賀県の東部に位置し、東は神埼郡吉野ヶ里町及び三養基郡、北は佐賀市三瀬村及び脊振山地を隔てて福岡市、南は九州の大河、筑後川を挟んで福岡県久留米市、西は県都の佐賀市と隣接しています。
地形は、本川を筑後川とし、城原川、田手川及び嘉瀬川の源流部をなす脊振山を最高峰とする北部の山間地域と、同河川が潤す肥沃な平野からなる南部の穀物地帯とに分別される、縦に細長い形を成しています。
神埼市の面積の約66%を山林、原野が占め、田畑が約28%、住宅は約5%であり、緑豊かな環境が広がっています。
また、気候は、比較的温暖多雨で、冬季には、山間部では路面凍結や積雪を見るなど、四季の変化がはっきりした地域です。
新市の交通体系は、近年の広域的な交通網の整備により、佐賀市や鳥栖市などの商業圏や佐賀空港まで20km圏内にあり、また、福岡都市圏や福岡空港へも短時間でアクセスできる、都市圏の機能分担についても可能な位置関係になっています。
神埼市においては、吉野ヶ里遺跡という大規模な弥生時代(約2千年前)の環濠集落跡が発見されたことをはじめ、当時の生活が偲ばれる土器や銅剣などの考古学的にも重要な遺跡が地区内各所で多数出土しており、太古の時代から人々が生活を営んでいた地域であると推測されています。
大化の改新以降、神埼市の平野部では、人々に一定の土地を割り与える班田制が施行され、この遺構としての条里制の坪名が今も残り、奈良時代に大宰府政庁へと続いた「西海道」の官道跡も残っています。
中世では、室町時代の豪族の城館跡(現在横武クリーク公園)や、南北朝時代に築城された姉川城跡、直鳥城跡等の史跡が残っています。
江戸時代には小倉〜長崎間(約224km)を結ぶ長崎街道が東西に通り、25の宿場の一つである神埼宿や境原宿に残る古い町並みや史跡から往時の面影を偲ぶことが出来ます。
このような歴史のなかで、神埼市内には、遺跡や歴史的建造物、寺社、紅葉でも有名な国の名勝九年庵、幕末の医者蘭学者で、西洋医学の基礎を築いた伊東玄朴の旧宅、次郎物語でも有名な下村湖人の生家などの史跡・名勝や、約1,000年の伝統をもつ櫛田神社の太神楽、仁比山神社の御田舞、約200年の伝統をもつ高志神社の高志狂言などの県重要無形民俗文化財など、数多くの歴史的、文化的遺産があり、様々な郷土芸能や伝統行事等が承継され、地域文化を形成しており、佐賀県東部地区における観光の拠点ともなっています。
神埼市は、基本理念として、「安心して暮らせる生活環境づくり」、「産業基盤・観光資源を生かしたまちづくり」、「人材育成・住民が主役のまちづくり」の3つの柱を揚げ、住民が参加できる、開かれたまちづくりの実現と、市の将来像である「自然と歴史と人が輝く未来都市」の創造を目指しています。
市 章
大きく伸びひろがる形は、自然と歴史と人が輝く未来都市をイメージし、心ゆたかな田園都市の協調と躍動をデザインしました。
赤は、太陽、神々の赤、神埼市の活気
青は、城原川を主とする清流
緑は、脊振の山々・千代田の田畑
神埼市ホームページ
(http://www.city.kanzaki.saga.jp/) |