平成18年3月26日、飯塚市、穂波町、筑穂町、庄内町、頴田町の1市4町による合併で誕生した市です。本市は、福岡県の中央部に位置し、総面積214.13km2、人口133,323人(平成17年国勢調査速報値)となり、福岡県内4番目の市として、また、県央の拠点都市としてのリーダーシップも期待されているところであります。
本市の中央部には遠賀川が流れ、福岡県を南北、東西に結ぶ国道200号線、国道201号線が交差し、かつては大陸との交流の歴史のなかで大宰府官道が通り、長崎街道「飯塚宿」「内野宿」の宿場跡が残る交通の要衝であり、江戸時代には長崎街道の宿場まちとして、また明治以降は「石炭の町」として栄え、江戸時代の歌舞伎様式を伝える芝居小屋で、現在も営業を続けている「嘉穂劇場」など、歴史的な建造物や史跡が今もなお現存しています。
昭和30年代のエネルギー革命により石炭産業が斜陽化し、人口の流出が相次ぎました。こうした中、残された炭鉱跡地を工業団地に整備し、企業誘致に努めるとともに、近畿大学産業理工学部、近畿大学九州短期大学及び九州工業大学情報工学部と3つの大学を有し、この特色を生かした、産学連携のコーディネートを行う福岡県立飯塚研究開発センターや、情報設計技術者などの人材育成を行う第三セクター方式での兜汢ェソフトウェアセンター等の産業支援機関、民間企業の研究施設などが相次いで開設されました。そして「飯塚アジアIT特区」の認定を受けると供に、トライバレー構想により日本一創業しやすいまちづくりを推進し、「研究開発型学園都市・情報産業都市」へと着実に歩んでいます。
また、本市の西南部には緑豊かな自然環境を活用した農畜産業が行われており、地域の特色を活かした特産品や農産加工品の紹介、直売も行われています。
本市は、古くから交通の要所として多くの人が行き交い栄えた宿場まちから、県央の拠点都市として「ひと・情報・教育」を基本にさまざまな人が訪れたくなる「平成の飯塚宿場まち」として、『人が輝き まちが飛躍する 住みたいまち住みつづけたいまち −産業・学術・文化・自然の共生都市−』を目指したまちづくりを進めています。
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