酒田市は、平成17年11月1日に旧酒田市、飽海郡八幡町、同郡松山町及び同郡平田町の1市3町が新設合併して誕生しました。山形県の北西部、最上川の河口に位置する商工業都市であり、また、農業を基幹とする全国有数の米作地帯でもあります。人口11万8千人、世帯数4万1千世帯、市面積は602km2で、面積、人口ともに県内第三位となっています。
交通面では、平成3年に庄内空港が開港し、東京、大阪、札幌便が開設されており、平成13年には、東北横断自動車道酒田線の開通により首都圏及び太平洋岸地域と結ばれております。また、酒田港は、本県唯一の重要港湾として歴史を刻み、極東地域をにらんだ、物流基地として、そして、平成15年にはリサイクルポート(総合静脈物流拠点港)の指定により、リサイクル関連企業の立地が進んでおり、リサイクル産業の拠点として成長しつつあります。
当市を見渡せば、さまざまな地域資源があります。日本海上には山形県で唯一の島、飛島があり、秋田県境にそびえる鳥海山とともに鳥海国定公園に指定されています。また、井原西鶴の「日本永代蔵」に北国一の米の買い入れ問屋と記された鐙屋や、日本一の大地主として知られた本間家などは、酒田を代表する商人であり、この両家の建物は現在も市の中心部に往時の形で残っています。さらには、庄内米の米蔵「山居倉庫」を改造した「酒田夢の倶楽」、魚介類を安価に提供し、食することのできる「さかた海鮮市場」などの観光施設や、八森温泉ゆりんこをはじめとして多くの温泉施設が開設されており、黒森歌舞伎、松山能などの伝統芸能も長い歴史を受け継いでいます。
本市は、昭和8年に市制施行し、昭和29年には近隣10か村を合併して、人口約1.8倍、面積は約6倍に増加しました。昭和51年10月には大火によって、市の中心部22.5haを焼失しましたが、僅か2年半の短期間で近代的な防災都市を完成し全国の注目を浴びております。
平成5年2月に地方拠点都市に指定され、都市機能の整備、充実を進めています。一方、市民生活に潤いを与える文化施設の建設が進み、昭和58年には市制施行50周年を記念して、飯森山西地区に、我が国初の写真美術館である土門拳記念館が開館しました。さらに、同地区には平成6年に数奇屋造りの和芸の研修施設である出羽遊心館が完成したほか、平成9年には市美術館が開館し、また、平成13年には東北公益文科大学が開学し、一大文化ゾーンを形成しています。
新「酒田市」誕生を期に、本市は「人」「地域」「恵み」を十分に活用しながら、市民とともに「人いきいき、まち快適、未来創造都市酒田」を築き上げていきたいと考えています。
(酒田市章について)
酒田市の頭文字「S」を骨格として、日本海を表す青と、庄内平野・鳥海山を表す緑の空間の中で、最上川の流れに見立てた4本の波(合併前の酒田市、八幡町、松山町及び平田町)が未来に向けて、羽ばたく色をデザインしている。
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