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全国都市監査委員会


 愛知県 清須市(きよす)
清須市 〜水と歴史に織りなされた安心・快適な環境都市〜

 清須市は、平成17年7月7日に西春日井郡の西枇杷島町、清洲町及び新川町の3町合併により誕生しました。
 この7月7日は七夕の日で、新しいまちづくりに願いを込め、新市の発展を願うことにふさわしい日であるとともに、この日は国土交通省が定めた川の日でもあります。旧3町は庄内川、新川、五条川に育まれた地域であるとともに、東海豪雨を始めとする水害と戦ってきた地域でもあります。災害に強く、安心して暮らせるまちづくりを目指すとともに、水のある空間を大切にし、自然と共生した「快適」なまちづくりを目指すという、新市の将来像をイメージする日にふさわしい日であると考えています。

■位置・人口・地勢
 本市は、尾張平野のほぼ中央に位置し、名古屋市、稲沢市などに接しています。
 庄内川の下流域にあり、ほとんどの地域が海抜10m未満で比較的平坦な地形になっています。また、市内には新川、五条川などの河川が流れ、豊かな水辺環境に恵まれ、四季折々の風景を楽しむことができます。
 人口は約55,000人、面積は東西約5km、南北約5.5kmの13.31km2です。
■交通基盤
 広域の利便性に恵まれた本市は、JR東海道本線、名鉄名古屋本線・犬山線・津島線及び東海交通事業城北線の鉄道網、東名阪自動車道、国道22号、国道302号などの道路網により周辺都市との連携が図られています。
■歴史
 清須市の区域の歴史ははるか遠く、尾張平野最大の遺跡である朝日貝塚やそれに接する竹村貝塚にみられる弥生時代までさかのぼります。また、室町時代のはじめ守護所下津城の別郭として築かれた清洲城など数多くの歴史資源が各地に残っています。
 弘治元年(1555年)戦国武将織田信長公が那古野城から清洲城へ入城し、慶長年間には城下町一帯が「東海の巨鎮」と称され文化の中心地として、また尾張の要所として栄えた歴史をもっています。さらに、関ヶ原の合戦で勝利を収めた徳川家康公が通ったとされ、名古屋と中山道を結ぶ最も重要な道路と位置づけられていた美濃街道を、吉例街道として、江戸時代には数多くの大名たちが縁起を担いで通り、家康公の命により開設された青物市場とあわせ、宿場町として大いに栄えた歴史も有しています。
 江戸時代中期には、庄内川の氾濫により幾度となく水害にあっていた当地において、多くの農民や地元の役人たちの尊い汗と犠牲により天明7年(1787年)に新川が竣工されました。その他、江戸時代に製作され、200年以上の歴史を誇る5輌の山車が練り歩く尾張西枇杷島まつりは、郷土の伝統文化として現代に継承されています。