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全国都市監査委員会


 岡山県 総社市(そうじゃ)

総社市 平成17年3月22日、総社市、山手村(やまてそん)、清音村(きよねそん)が新設合併し、新総社市が誕生しました。
 新しい総社市は、人口66,200人、総面積は212.00平方kmのまちで、岡山県の南西部に位置し、東部は岡山市、南部は倉敷市の2大都市に隣接しています。市域の中央を北から南に岡山県の三大河川のひとつである高梁川が貫流しています。岡山空港からタクシーで約25分、JR岡山駅から伯備線で約25分、吉備線で約30分、岡山自動車道岡山総社インターチェンジから約10分、山陽自動車道倉敷インターチェンジから約15分と交通の便に恵まれています。また、年平均気温は16.5℃前後、雨量は年間1,000mm前後で、瀬戸内海地方特有の温暖、少雨の気候で、「晴れの国」と称される土地柄でもあります。
 総社市は、かつての古代吉備の国の中心として栄えた地域で、縄文以前から人々が生活していた形跡が見られ、数多くの古墳が残されています。そのうちの一つ、作山(つくりやま)古墳(全長286m)は、全国第9位の巨大な前方後円墳で、造営された5世紀当時において、吉備で大きな権力をもっていた人物のものであると思われます。また、築造年代が特定されておらず多くの謎につつまれた古代の山城・鬼ノ城(きのじょう)は、悪事を働く温羅(うら)という大男を退治するため大和朝廷から派遣された五十狭芹彦命が、鯉となって逃げる温羅を鵜になって捕らえたという「温羅伝説」の舞台ですが、近年発掘調査が進められ、城門や土塁なども復元され注目を集めています。飛鳥・奈良時代には、備中の国府も置かれて備中の国の政治・経済・文化の中心地として栄えました。平安時代には備中国内の神々を合祀した総社宮が建てられましたが、総社市の名称はこれに由来しています。鎌倉時代以降は、地方政治の町から山陽道や高梁川の水運を生かした門前町、宿場町的性格に様変わりするとともに、豊かな農村地域としても発展しました。
 高度成長期の昭和40年代ごろからは、県南工業地帯の発展に伴い、宅地開発が進むとともに、その後背地として内陸工業も発展しました。平成5年には市内に岡山県立大学が開学。近年では、歴史に培われた吉備文化と、高梁川の恵みをはじめとする豊かな自然環境を背景に、住宅都市・学園都市として発展しています。
 新市は、特有の伝統文化や豊かな自然環境を生かして、文化と産業、自然が調和した住みやすさと新たな吉備文化を創造するまちづくりを目指し、将来都市像を、地域・文化・自然が支える心豊かな生活交流都市と定めまちづくりを進めています。