『海・山・空 夢ひらくまち』
(三原市の概要)
三原市は、2005(平成17)年3月22日に、三原市、本郷町、久井町、大和町が合併して出来た新しい市です。人口は106,229人、世帯数38,499世帯(平成12年国勢調査)、広島県の中央東部に位置し、面積は471km2で、広島県の5.6%を占めています。 また、中国・四国地方のほぼ中心にあり、当地方の各地域と連携する上で恵まれた地理的条件を有しています。
新市のまちづくりの基本となる新市建設計画では、「一人ひとりが輝くまち」「幸せを実感できるまち」「活力を生み出すまち」の3要素から構成されるまちづくりの理念を示すキャッチフレーズとして、『海・山・空 夢ひらくまち』を定め、地域の個性的な歴史・文化、豊かな自然、恵まれた交通条件を活かし、すべての人が生き生きと幸せに暮らせるまちを実現することをめざします。
(自然条件)
地形は、大峰山系によって区分される南部と北部とでは様相が異なっており、南部には、沼田川流域の平野に加えて、瀬戸内海と山地に挟まれた帯状の平野が広がり、北部には、世羅台地の一部をなす丘陵状の平地が広がっています。
また、南部から北部にかけて変移する瀬戸内海と山地・丘陵が織りなす自然の多様性を有する本地域は、瀬戸内海国立公園、佛通寺御調八幡宮県立自然公園や竹林寺用倉山県立自然公園、国指定の天然記念物の久井の岩海等の景勝地、白竜湖等の湖沼・河川や丘陵などがあります。
気候は、温暖・多照寡雨といった瀬戸内式気候区に属し、総じて暮らしやすい気候にあります。年平均気温は南部で15〜16℃、北部で12〜13℃、年間降水量は南部で約1,200mm、北部で約1,300mmとなっており、特に南部は、県内でも温暖で小雨な地域となっています。
(歴史条件)
三原市には、御年代古墳(本郷町)をはじめとして縄文・弥生・古墳時代の遺跡が残されており、古くから人びとの生活が営まれていたことがうかがえます。平安時代には、楽音寺(本郷町)や昭和30年代まで続いた杭(久井町)の牛市など今に残る歴史資源が創設されたほか、沼田庄や杭の庄等の荘園が経営され穀倉地としての役割を果たしてきました。
鎌倉時代から戦国時代にかけては、小早川氏が台頭し、小早川氏ゆかりの棲真寺(大和町)が創建されたほか、椋梨(堀)城・高山城・新高山城や三原城が築城されました。江戸時代には、広島藩の領地となり、城下町として繁栄したほか、新田開発や技術向上により農業が発達しました。
明治時代以降は、帝人や三菱重工業等の大工場の立地により旧三原市が近代工業都市として発展したほか、本郷町・久井町・大和町は米作地域としての役割を果たしてきました。
また、本地域は、古来から近畿と九州を結び四国と連絡する海上交通の要衝として発展するとともに、本郷町・久井町が旧山陽道沿いの宿場として繁栄するなど、山陽道の要地としての役割を担ってきました。
(交通体系)
道路網は、山陽自動車道と国道2号・185号・432号・486号および主要地方道三原東城線などにより、地域内外を連絡する格子状の骨格道路網が形成されています。
公共交通機関としては、三原駅をターミナルとする広域的なバスネットワークが形成され、山陽自動車道を利用する高速バス路線も運行されているほか、JR山陽新幹線とJR山陽本線・呉線による鉄道網が形成されています。また、重要港湾尾道糸崎港の三原内港と地方港湾須波港を発着する、瀬戸内海島しょ部や四国などとの間の航路網も大きな役割を果たしています。
本地域は、中国・四国地方唯一の地域拠点空港に位置付けられている広島空港を擁することが大きな特長となっています。同空港の利用は、開港以来、東京便を中心に順調な増加傾向にあります。また、国内で4番目の計器着陸装置の高度化(CATVaの導入)にも着手しており、このことにより就航率の向上や定期便の定時運航が図られることになります。同空港へのアクセス交通としては、リムジンバスや高速バスの利用を主体とする自動車交通アクセスにより、県内にとどまらず鳥取・岡山・今治方面とも連絡されています。
古くから海上・陸上交通の要衝として発展してきた本地域は、広島空港・山陽新幹線や山陽自動車道(本郷IC、三原久井IC)といった高速交通ネットワークに恵まれており、本地域がその中心に位置する中国・四国地方において、陸・海・空の交通拠点としての役割を果たします。
詳しくは、
(http://www.city.mihara.hiroshima.jp)
をご覧ください。
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