本部通信
全国都市監査委員会

 石川県 野々市(ののいち)市 
 石川県野々市市は、2011年(平成23年)11月11日市制施行により、石川県内11番目の市として誕生しました。
 野々市市は、石川県のほぼ中央、県都金沢市の中心市街地から南西約5kmに位置し、北東部を金沢市、南西部を白山市に接しています。
 市域面積は13.56k㎡(県域の0.32%)と狭く、東西4.5km、南北6.7kmであり、海抜最高49.6mで山や海の全く無い平坦地です。このうち、白山市とは水田を隔てていますが、金沢市の南西部市街地とは街なみが続いています。
 隣県や中部圏域を結ぶ国土幹線軸が縦横に貫通し、また、市北部を北陸新幹線が通過する予定となっているなど交通の要所に位置する好立地条件に加え、急速な車社会の進行等の要因により、人口の急増とともに事業所の進出が促進され、一方では土地区画整理事業を早くから施行し、快適な居住環境をめざしたまちづくりが着々と進められています。
 当市は、今からおよそ3500年前の縄文後期から、弥生・古墳時代、さらには奈良・平安時代と、連綿として人々が生活してきました。市北部の御経塚およびその地区周辺には、縄文時代から集落が築かれ、また、市南部には今から1300年前の白鳳時代に建立されたとされる末松廃寺跡から、高度な文化が栄えていたことがうかがえます。このような文化的な土壌のなかで1063年(平安時代)には富樫家国が本市に館を建て、加賀国府を当地に移させました。それ以降、加賀における政治・文化の中心地として栄えてきましたが、1488年(室町時代)の加賀一向一揆による富樫氏の滅亡とともに、旧野々市はその中心的な役割を終えました。藩政時代は、北国街道の一宿駅として名をとどめ、明治に入り全国に先駆けて耕地整理を行い生産性を高め、加賀の穀倉地帯として発展し近代を迎えました。
 1924年(大正13年)に町制をしき、1955年(昭和30年)町村合併促進法によって冨奥村と合併し、翌1956年(昭和31年)郷村の一部を、同1957年(昭和32年)に押野村の一部をそれぞれ編入して新しい野々市町が発足しました。
 昭和40年代に入って徐々に人口が増加し、1970年(昭和45年)以降は急速な都市化と人口増加が続き、2010年(平成22年)の国勢調査では51,885人となり2011年(平成23年)8月12日の総務大臣官報告示を経て、同年11月11日に市制を施行しました。この間、二つの大学や高校が相次いで設置され、街は若者たちの賑わいをみせています。特に商業の伸びがめざましく、伝統ある歴史と新しい躍進の息吹きとが調和した街並みを形成し発展を続けています。